何か書き残していきたいから。

これもまた運のヒトツ。

「運も実力のうち」というけれども
人に出会う運というのは
人生を左右する大きな運の1つだと思う。

家族はもちろん、友人や恋人だって立派な出会いだけど
その中でも「良い教師」との出会いは凄く自分の中で響く気がする。

毎日の自分を見ていてくれる大人の他人。
親よりも客観的に見てくれて、赤の他人よりも主観的に見てくれる存在。
そんな、なんとも微妙な距離にいる「教師」は
意外と生徒に大きな影響を与える力を持っているのだとこの頃思う。

教師という仕事は思っている以上に責任重大なのかも知れない。
そして思っている以上に難しい仕事なのかもしれない。

熱血過ぎると逆に生徒は冷めるし
冷めすぎててもつまらないだろうし
生徒と近すぎるのも境がなくなってなめられてしまうだろうし
説教ばかりだと反発しか返ってこないだろうし
生徒を馬鹿にしていると意欲がなくなってしまう子もいるだろうし
頭が良くても教え方が良いのとは別なのだろうし
中途半端な情だけで生徒に接するとその中途半端さが仇になることだってありそうだし。

小学校や中学校の頃は見えてる世界が本当に小さくて
大人が良かれと思って言ってることが理解できない。
もしくは分かっていても目先の欲を優先させたくてそれを認めたくない、
理解したくないなんてことが多かった気がする。
素直になることもできなかったな。

ここ数年のニュースを見ていると
そんな不安定な生徒の心を響かせられる教師は多くはないと思う。
先生が率先して生徒をイジメたり
嫌いな生徒の名前を書くアンケートをしてばらしてしまったり
学校ぐるみでイジメの事実を隠蔽しようとしたり。
そういうのは一部の人たちだけなのかもしれないけど。

・・・

今まで色々な先生に会ったけれども
誰が1番印象的だったか、と問われれば
高校のときの音楽の先生と答える。

高校のときは吹奏楽の授業とは別に
マーチングバンドに入っていて(例はコチラ。音量に気をつけてください。)
高校アメフトの応援だけでなくてマーチングバンドの競技会もあったのだけど
私の学校は結構新しかったので他校に比べたら人数も少なくて知名度も低くて
ある意味伝統ある学校に比べたら「負け犬」という感じだった。
けれども、その先生はいつも生徒に

どんなに願っても他の学校の演奏をコントロールすることは出来ない。
自分がコントロールできるのは自分自身だ。
出来ないことに無意味な気持ちやエネルギーを使わないで
今、自分ができる精一杯のことをやれ。

っといっていた。
努力と共に結果がついてきたこともあって
願ってるだけで行動しなければ自分は変われないし
周りの世界ももちろん変わってくれないっと言うことを実感した。
今でも怠けたくなった時や嫌なことから逃げたい時には彼の言葉を思い出す。

月が表しか見せてくれないのなら自分で裏側まで行けばいい。
なーんてね。(笑)

高校4年間、ずっとこの先生から音楽を教わったけど
英語力の問題や私がシャイだったこともあって
凄く仲の良い関係にはなれなかった。
だけど彼に会えた自分は運が良かったと思うし
一生忘れない先生だと思う。

習ったのは音楽だけじゃなくて人生の教訓だったんだろうな。

・・・

心に響く音を奏でる教師はそれぞれ違う奏で方をするのでは?
自分の話を真剣に聞いてくれて、時々逃げてはダメだと叱ってくれる人。
凄く親しくはならなくても授業や行事の中で人生の教訓を語ってくれる人。
学問の本質を理解してもらおうという思いが伝わるような授業をしてくれる人。
沢山の種類の楽器があって、人によって好みな楽器があるように
人によって教師から感じる音に好き嫌いがあるのかもしれない。

純粋に子供が好きっという気持はもちろん大事だけど
あくまでそれは土台としての役割を果たすのであって
教師というのはそれだけでは勤まらない職業なのかもね。

小学校や中学校の先生に人生の教訓を教えようなんて言っても
教えられる生徒の方が分からないだろうから無理だろうけど
やっぱり出会ってよかったと思える先生にめぐり会いたいなーと思う今日この頃。